おの恋の技

HISTORY 産地

HISTORY

270年える「刃物」
400年える「そろばん」

かつて「播磨国」(播州)とよばれた兵庫県南西部に位置する兵庫県小野市は、270年以上にわたり鍛冶技術が継承され「鋏/はさみ」や「鎌」といった物を作る鋏職人や鎌職人が活躍し、さらには400年を超える播州そろばんの「製造技術」をもつ算職人がおり、今なおその技術と産地の継承を続けている。

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歴史イメージ 兵庫県小野市の場所
HISTORY

「鋏」「鎌」の歴史 イメージ

江戸時代、全国の各藩には藩のお抱え刀工「藩工」がおりました。藩主の一族や有力者は、こうした刀工に直接製作を命じたり、とくに著名な刀匠には「注文打ち」と称する個別の製作依頼をしたりしていました。かつて「播磨国」(播州)とよばれた兵庫県南西部の中でも、小野市は、一柳家を藩主とした「小野藩」の城下町で、東隣の三木市とともに金物のまちとして栄えた地域。

日本刀の原材料となる一級品の砂鉄を鳥取砂丘から採取して使っていたこと、三木市の丹生山付近でも鉄が採取されたこと、薪炭用の木材等が豊富にあったこと、さらに刀工が大勢いたことなどさまざまな条件が重なり、金物の生産向上につながりました。古文書によれば、延享年間に剃刀が製造されたのをはじめとして、文化年間に握鋏、包丁の製造が開始されたと伝えられています。家内的工業として小野周辺に農家の副業として広がり、その後も生産技術の改良や機械化がすすみ、明治時代には品種が多様化。明治後期にはさや付けをしたナイフが開発され、小刀を改良した現在の包丁が考案されました。なかでも江戸末期に活躍した旧一柳藩の抱え刀鍛冶、藤原伊助は、剃刀の製造技術を応用して鎌を製造。「薄く研ぎやすい」「切れ味は最高で、刃こぼれも少なく錆びにくい」といわれ、その鋭利さが喜ばれ「カミソリ鎌」と呼ばれたほど。小野で生まれた鎌は今や「播州鎌」といわれ、全国の生産量の約8割を占め、兵庫県の伝統的工芸品に指定されています。かつて鎌鍛冶で発展した地域にあり、いまも鍛冶職人たちが伝統的な技術と品質を守り続けています。

職人
職人
職人
HISTORY

「算盤/そろばん」の歴史 イメージ

そろばんは、室町時代末期に中国から長崎へ伝来したといわれており、中桟の上二つ玉、下五つ玉の中国そろばんが改良されて現在の形となった。わが国で日常生活に使われはじめたのは、文禄年間(1592~95)とみられている。当時の数学者毛利勘兵衛重能が京都二条京極で「天下一割算指南」という道場を開き、多くの人々に珠算を教授したのが全国に普及するきっかけとなった。播州地方でのそろばん製造は、天正年間(1573~91)に豊臣秀吉が三木城を攻略した際に、大津方面にのがれた住民が大津そろばんの製造技術を習得し、帰郷して三木・小野周辺で製造を始めたことが起源とされている。そろばん製造は小野市を中心として発展し、全国生産量の多くを占めるに至った。昭和35年頃がそろばん製造の全盛期であったが、1.電卓の普及、2.学校におけるそろばんの授業時間の減少、3.官公庁や一般企業のコンピューター導入、4.少子化による子どもの減少などにより需要は減少している。
しかし、そろばんは古来から持つ機能や、教育的効果が認められ小学校の算数の教科に取り入れられており、最近では脳を活性化させて集中力や創造力を養うということで、幼児教育や高齢者認知症予防の器具として見直されてきている。
「播州そろばん」は、昭和51年6月に通産大臣から伝統的工芸品の指定を受けた。

職人
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